桜の季節です
かえるのクーの助手の井戸中 聖(いとなか あきら)です。
今日、お出かけ先から約1.5ヶ月ぶりに生還しました。
自由に使えるネット環境がない!ので、ブログもままなりませんでした。
アクセス数を見るかぎりは、このサイトの立ち上がり時期を彷彿とさせる
スパースなアクセスとなっておりました。
桜の季節というのになぜか寒いです。
さて、例によって実験できていなので、全くの妄想を書きます。決して信じてはいけません。でも3月なので4月ネタ?でもないんです。
忙しいことはやっぱりよくないよね
ここしばらくはとても多忙で、たぶんかなり寿命を縮めてしまった感じはします。
そんな多忙ななか、ふと「人間原理」が正しいのかも思ってしまいました。
出典や検証不足ながらWikiを参照ください。
人間原理とは、一見「トンデモ」である理論ですが、こういう思考実験的な考え方、は嫌いではあいません。それどころか、物理学者でも案外信じている人はいたというので驚きです。
主観で好き勝手いえる部分もあるので、あまりあてにならないページはご注意ください。(とくにこのページが怪しいです)
わたくしは、頭っから気にもかけていなかったのですが、あまりに追い詰められた状態でふと考えると、「人間原理」って案外間違っていない気がしてしまったという他愛のない話です。
因果関係に縛られる(連続した)世界と、因果関係が別の「切り口」をもつ世界
さて、「時間をふくめてこの4次元世界」は、もっと多次元の波の重ね合わせの
1つの選択肢、もしくは確率のひとつと考えられています。
4次元世界で観測はエネルギー(波)は「量子」としてのふるまいのもと、因果関係がなりたつ世界としての連続性をもっています。
波は量子として「観測により収束する」のではなく、たまたま、「あたかも収束しているかのごとく観測される」だけです。ちょうど「ピントが合うから観測された」ような感じに考えています。
観測されたから世界が分岐するのではなく、もともとの可能性の中から確率的に観測されているだけだと思います。とはいえ因果関係の縛りがあるので、その世界からすればあたかも分岐したようにも見えます。
ところが!4次元世界での因果関係はそうそう破綻しないので、うまくコントロールすれば、意図する状態に「収束させて結果を得る」ことが「4次元世界」側から(一度では無理でも)何度もの試行で高確率で可能になります。
波の重ね合わせははそれこそ無数にあり、同じ波の重ね合わせを元にしていたとしても、因果関係がまったく別の4次元世界では「物理定数そのもの」がこの世界と違っているかもしれません。
そう考えると、「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」
はあながち間違っていないかも。
この観測に関する最も高度なシステムが「知性」である感覚がふと湧きました。知性は自己に有利な因果関係を選択(招きよせ)する(気がする)。
自分にもっと知性を!
意思力か...
さて、わたくしはこの追い詰められた状態から脱出は可能なのでしょうか。
あ。今世界線がすこし変わったかも。。。(笑)
今後の活動が危ぶまれます。
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